二男児母のぎりぎり日記

理想むなしくだいたい余裕なく過ごす二男児の母が綴ります。

すべてはここから始まった

どうもこんにちは くま江です。


初めての子供を妊娠中に、出産後の生活ってイメージできていましたか?私は、自分より下のきょうだいも居なかったし、近くにそういう環境もなかったので全くイメージできていませんでした。それなのに、何故か、昔々から人々は子供を産んで育てているのだから、まぁ産めば何とかなるんじゃない!?的な感じで捉えていました。

 

なので、あまり子育てグッズ的なものの事前調査や想定もせず、どうせすぐ使わなくなる赤ちゃん用のグッズは極力買いたくないなぁとさえ思っていました。もちろん、肌着などの必要な物は用意しましたが。

 

近所の総合病院で出産の予約をしました。バースプランでは「できる限り母乳で育てたい」に〇をしましたが、これは「ミルクなんかよくない!母乳が良いに決まってる!」という気持ちではなく、上に書いたように「昔の人たちはミルクなくても子育てできてたんだから、それでできるに越したことはない」というような感じでしょうか。とにかく、よくわかっていないまま回答しました。

 

そして出産。

幸いトラブルもなく教科書通り、分娩時間12時間~14時間で出産。出産後、数時間の休憩の後、助産師さんによって くま太郎が横にやってきました。「じゃ!泣いたらおっぱいだからっ!あとは胎便はこうするんだよ」とだけ言って去って行ったように思います。

 

そうなんです。この出産した総合病院は、母子同室&母乳推奨の病院だったんです。

 

そこからひたすら「泣いたらおっぱい」生活開始。なにせ子供の育て方なんて知らないですからね。この冒険で最初に手にしたアイテムは「泣いたらおっぱい」それだけです。最初の2日くらいは出産後のハイテンションで体中の筋肉痛やら下の痛みなんか、あまり気にならず。ほとんど寝る時間が無いのも乗り越えられました。

 

入院4日目の朝方でしょうか、前回起きてから24時間経っていたと思います。とにかく授乳の間にご飯をかっこみ、授乳の間にシャワーにかけこみ。それと、授乳の指導で一時間毎に授乳室に呼ばれたりしてました(スパルタカス💪)。出産の疲れも癒えぬまま、乳首は切れて痛いし、とにかく体を横にしたかった。泣いている赤子を目の前に心が「無」になった感じがして、授乳室で泣いてしまいました。

助産師さんに言ったら「そんな時はミルクあげるのよ~!」っと明るく言われ、「ちょっと預かるからしばらくお休みして」と、くま太郎を預かってくれました。

なんだ、ミルクあげて良いのか、早く言ってよ…よぼよぼ…と眠りにつきました。

 

結局それから2時間経たないうちに「泣いてるから迎えに来て~っ」と言われてお迎えに行ったわけですが😅

助産師さん達、パワフルですし、人によって考えも違いますし、はははっ😂

 

5日入院して実家に帰りました。

 

たまたまなのですが、私の姉とは妊娠出産時期が近く、既に実家に里帰りしていた所に合流しました。近くに先輩が居たので大変心強かったです。

んが!なんか病院帰りでよぼよぼの私に比べて、姉の元気さに差があって…(まぁ2週間早かったので回復してたのかもしれませんが)。聞いてみたら、姉の病院は、夜はミルクを与えてくれる病院だったようです。なんか、全然違うんだな。と思いました。そもそも姉は私と違って、勉強熱心なタイプで、この出産に向けてもベビーグッズやら病院の選択やら、恐ろしく調べて挑んでいたようでした😂

 

ほぼ完全母乳の備えしかしていなかった私に対し、たとえ完全母乳であっても安定して出るまではミルクが必要だからと、ミルクの準備をしていた姉。

実家生活数日後、よぼよぼの私は、ミルクの準備一式を教えて貰い、その場でAmazonをポチポチしました。情報だけもらうのも申し訳なくて、情報提供料は払いました😂

 

この経験が結構大きくて、とにかく赤ちゃんや乳幼児との生活において、自分を助ける可能性があるものは結構試すようになりました。

それと、ネットでいろいろ調べるようになりました。

このブログでは、色々と試行錯誤したことも思い出しながら書いてみたいなぁと思っています。

 


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(回想図)

AM4:00 くま江 無になる